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お経や真言の唱え方について。
お経や真言の唱え方は千差万別様々な唱え方があります。ベテランの僧侶になりますと、真言を元々の原来先であるインドのサンスクリッド語に見立てて、それに近い発音をしようとされている方もあります。私は其々に違って然るべきだと思っていますが、中には所謂「クセ」を嫌う僧もおられます。これは抑揚を付けたり、所謂「こぶし」を入れる読み方のことを指しますが、そういう僧に限って、そういう読み方が出来ません。私からすれば「棒読み」状態です。彼等の言い分で一理あると思うのは、集団や他者と読み上げる時です。この場合、相手の方は非常に合わせづらい。これは勿論承知しております。ですから、そういう場合のみ、棒読みに変えます。「あるもの」を「ないもの」にすることは瞬時にできること。しかし逆はどうでしょうか?私は到底できるものとは思えません。私は僧侶もカッコいいものであり、憧れられる対象であるべきだと考えます。そうなった時、仏教の未来が明るくなると思っています。ですから読経ひとつとってもカッコいいと思われることが重要ではないかと思っておりますし、私はプロの歌手として、数多の僧侶以上に上手に読み唱えられる必要があると思っております。まだまだ理想からは遠いですが、そこを目指しているわけです。それが、所謂、「修行」をしていない、私に課せられたことであるとも思います。